
――日本におけるEBMの普及は目を見張るものがあり,さまざまなレベルで実践されつつあるという印象を持っておりますが, 先生はその栄養学版ともいえるEBNの必要性を提唱しています。まずはEBN研究のきっかけについてお伺いします。
エビデンスに基づいた「医療」を行うためのEBM(evidence-based medicine)の概念は,ほとんどの医療者に浸透してきました。このEBMの概念が拡張され,evidenceミbased nursingやevidenceミbased public healthなどの考え方が生まれてきたわけです。当然,栄養学も健康を支えるための学問の一分野ですから,「それならEBNがあってもいいじゃないか」という,なかば冗談めいた発想から取り組んでみたのです。しかし, EBMの手法を栄養学に持ち込むことは,当時の日本の栄養学者たちにとっては,異質なものと考えられたのではないでしょうか。
といいますのは,医学,看護学,公衆衛生学は人がいてはじめて成立する学問であり,人のために存在する学問です。ところが栄養学では“人”に役立てるという視点が全面にあるわけではなかったのです。栄養学の研究は,まず,ある食材の中に「どんな成分があるか」ということから始まり,その後に「それは役に立つか」を考えるのですね。もちろん,この2段階のステップは栄養学の両輪であり,両方とも必要なのです。しかし当時の日本には,食品,つまり“もの”の学問が栄養学であるという考え方が根強く,“人”からのアプローチを栄養学の主軸に据える方は少数派でした。
人を対象とするEBN 当然ですがEBMでは人のトライアルしか認めません。evidence-based nursingやpublic healthも,学問の性質上,ほとんどの場合は人しか扱いません。同様にEBNの対象も“もの”ではないのです。ところが,栄養学者の多くは,人に接することがなかったのです。たとえば,(1)トマトにはリコペンが含まれています,(2)リコペンは細胞レベルで肺癌を予防します,→トマトを食べましょう,という具合になりがちでした。しかし,これは「トマトをたくさん食べれば,肺癌のリスクが下がる」ことを証明したのではありません。トマトと肺癌をダイレクトに結びつけた研究こそがEBNを支えるエビデンスとなるのです。
――EBN研究のための環境は整ってきているのですか。
残念ながら,まだまだ発展途上にあると言わざるをえません。日本の栄養学教室の多くは,農学部と家政学部にあります。医学部には「栄養学」を名乗っている教室はありません。内分泌や代謝系の教室のなかには,栄養学を取り入れているところもありますが,いわゆる栄養全体を包括する栄養学教室,ましてや予防栄養学を専門に研究することを目的とした教室はゼロです。そして,農学は基本的には作物を作るための学問です。それから家政学部の多くは,残念ながら最近までは短期大学でした。2年制の教育を受けた人間と,6年制の教育を受けた医学系の人間とでは,3倍の差があるわけです。その差は埋めがたいものがあります。最近は家政学部を中心とした栄養士養成校の多くが4年制へ移行し始めていますが,博士課程の設置はまだ少なく,やっと修士課程の学生が増えてきたというレベルです。
――EBN研究の発展のためには,現在の栄養学が“人”に焦点を当てる方向にシフトしていくことと, 医学や看護学の領域において栄養学の方面に裾野を広げていくことが考えられますが,どちらに期待されますか。
双方からのアプローチがあることが理想的ですが,現状では既存の栄養学からのEBNに向けた動きがみられるようになっています。 栄養士養成校では,「栄養学科」が「人間栄養学科」に替わる傾向にあり,“人”に目が向けられてきていることがわかります。 また,農学系の研究者でも,「農学は人の健康を支えるための学問であり, 最終的に人のトライアルを行わなければ農学の究極の目的は果たせないのだ」とおっしゃる方が増えてきました。 ですから,栄養士養成校や農学部の研究者が,少なくとも“人”に興味を持っており,社会的な重要性を認知し始めていることは事実だと思います。 これに比べ,医学部からの歩み寄りは,今のところは乏しいと思います。
――EBMにおける「治療の効果」を確かめるトライアルと,EBNにおける「栄養や食品の摂取効果」を確かめるトライアルにはどのような違いがありますか。
薬剤のトライアルと,栄養や食品のトライアルの大きな違いは三つあると思います。一つめは結果のシャープさです。栄養や食品に比べ,薬剤の効果はシャープですから,トライアルのデザインが比較的に単純で,有意差が出やすい傾向があります。二つめは,期間の違いです。薬剤のほうが,短期間で効果が期待できますが,食品の効果は一般的に長期間を必要とします。三つめはベースの曝露の違いです。薬剤のベースの曝露はゼロですが,食品の場合は,ベースとして何かを食べていますから,ゼロではありません。すなわち,栄養や食品のトライアルはかなりの長期間にわたり,しかも効果を検出することが難しいということです。
交絡要因の排除 それでも,栄養や食品のトライアルには社会的なベネフィットがあるのだ,という機運が生まれています。実際に欧米では,数年をかけ,数千人,数万人をリクルートした介入研究が行われているのです。
また,栄養や食品のトライアルで,その効果がみえにくいのは,効果が交絡要因に埋もれてしまうことが一つの原因です。最近のトライアルは,交絡要因を十分にコントロールできるように工夫されています。すなわち,交絡要因を最初から考慮したデザインを用いたり,後で統計学的に調整することができるようになってきました。ですから,統計学者を含め,さまざまな専門を持つ研究者をリードできる,レベルの高い栄養の専門家がより求められているのです。
交絡要因についてわかりやすい例でお話ししますと,今,日本でも地中海食が流行しており「地中海食は体によいので,オリーブオイルを摂った方がよい」と短絡的に解釈される傾向があります。地中海付近の食事には,オリーブ以外にもトマトなどの特徴的な食べ物があり,これが交絡因子の一つだと考えられます。また,オリーブオイルを多用しているイタリア人は,バターを使わない傾向があります。そうすると,地中海食の効果は,オリーブを食べた効果なのか,それともバターを食べない効果なのかということを判断することは難しい。これが先ほどお話しした,ベースの違いなのです。これらの交絡因子を考慮するためには,かなり高度なトライアルデザインと,高度な解析方法,また,異なる疫学的手法で得られた結果を,総合的に,かつ正しく解釈することが必要だと思います。
エビデンスの総合的解釈 これは,メタアナリシスよりも広い範囲の研究を統合する必要があります。先ほどお話しした地中海食の研究は,疫学研究のなかでも生態学的研究に分類される研究です。生態学的研究以外に,ケースコントロール研究,コホート研究,介入研究についても,長所と短所を十分に理解した上で,結果を解釈する必要があると思います。研究の手法によっては効果が認められたり,認められなかったりする場合があるわけですから,それはなぜかを考え,そして,少なくとも現在における結論を導くことが大切です。単純な数値の蓄積ではなく,論理的な総合研究がどうしても必要になってきます。
――そうしますと,一つ一つの研究を正しく解釈する力量が問われることになりますね。 エビデンスとして評価しうる研究を見極めるにあたっては,どのようなことに注意すればよいのでしょうか。
それぞれの研究デザインの長所と短所を十分理解しておくことが重要です。「オリーブを多量に摂取している人の心筋梗塞発症率は少ない」という結果は,生態学的研究,観察研究,介入研究からも得られており,かなり強度なエビデンスがあるように,一見はみえるのです。ところが,さきほどお話ししたように,生態学研究では交絡因子の調整が難しく,かならずしもオリーブの効果とはいえないという問題があります。オリーブを消費している地域では,トマトや葉酸の摂取量が多く,アルコールの摂取量も相対的に高いため,心筋梗塞の予防に働く要素がわりとたくさんあるのです。
日本人のためのエビデンス それをふまえ,介入研究の結果をみると,確かにオリーブは心筋梗塞の再発を抑えていました。ただし,これでオリーブの効果は証明されたといって,明日から「オリーブオイルを食べましょう」と患者に指導するわけにはいきません。日本の疫学研究の結果では,日本人のオリーブ消費量は非常に少ないにもかかわらず,この介入研究が行われた南ヨーロッパの国々よりも,心筋梗塞の発症率はずっと低いのです。ですから,日本人がオリーブに手を出すと,逆効果になるかもしれない。EBNとは,現場で役立たせるための学問ですから,日本人の心筋梗塞の予防,再発の予防を考える場合,地中海食を探しに行くよりも,日本人や日本食を探ることのほうが重要な場合があります。これは,いろいろなタイプの疫学研究を比較し,その長所と短所を探し出すことによって見つけ出すことができるのだと思います。
――そのほかに先生が注目されているエビデンスにはどのようなものがありますか?
1980年代に,肺癌の予防にはβカロテンが有効である可能性を示した,コホート研究とケースコントロール研究の結果が出されました。この結果と,生化学的な基礎研究の結果に基づいて,フィンランドとアメリカで,喫煙者を対象としたβカロテンサプリメントの肺癌予防を検討した,大規模なランダム化比較試験が合計4つ計画されました。
ネガティブに終わったβカロテントライアル ところが,1990年に入って,フィンランドのトライアルの結果を解析すると,βカロテンサプリメントを投与していたグループの肺癌発症率が有意に高かったのです。即座にアメリカのトライアルはいったん中止され,急いで結果が解析されました。結局,βカロテンサプリメントがよいという有意差は認められず,このトライアルは完全に中止されました。残りの2つのトライアルも中止です。
そこで,フィンランドで行われたトライアルの論文を読んでみると,研究デザインに大きな問題があることがわかりました。このトライアルで投与されたβカロテンはおよそ2万μg/日で,これはフィンランド人が日常的に食物から摂取している量の約8倍に当たるのです。これは大きなニンジン2本分にあたる量ですから,それを毎日休むことなく食べ続けることはありえません。
低用量で長期間の摂取が,抗酸化物質として働くものであったとしても,高用量にした場合に8倍の効果がある保証は必ずしもないのです。むしろ酸化物質として働く可能性があるかもしれません。
プールドアナリシスの結果 そして,世界中で行われている七つのコホート研究のデータを集めた,カロテノイドに関するプールドアナリシスが最近公表されました(Cancer Epidemiol Biomarkers Prev. 2004 Jan;13(1):40ミ8)。この解析の対象者は総計約40万人です。数万人から十数万人の大規模な研究が対象とされ,その全てが非常にていねいな食事調査と,疾病調査を行っていたものに限られました。残念ながら日本の研究は入っていません。
その結果,たくさんあるカロテノイドのそれぞれが,ほんの少しの肺癌予防効果をもっていることがわかりました。具体的にいいますと,αカロテン,βカロテン,βクリプトキサンチン,ルチン/ゼアキサンチン,リコペンの五つです。つまり,ある一つのカロテノイドが大きなパワーを持っているのではないのです。私たちは生涯に,それぞれのカロテノイドをいろいろな食品から少しずつ摂取します。それの多寡が,肺癌になりやすいかどうかの分かれ目となるのです。
ニンジンにはβカロテンのほかに,αカロテンが含まれていますが,リコペンとβクリプトキサンチンは含まれていません。リコペンはトマトに,βクリプトキサンチンは柑橘類に豊富に含まれています。ですから,一つの食品に偏らず,おいしいと思う食品を幅広く摂ることが必要です。
試験方法の見直し しかし,このような複数の栄養素や食品の効果を立証するための介入試験を行うことは,現実的には不可能です。たとえば5種類のカロテノイドの組み合わせは32通りで,さらにどのような割合で摂取すればよいのかを調べようとすると,介入方法が膨大かつ複雑になりすぎて,デザインとして成り立ちません。βカロテンサプリメントが注目されていた1980年代は,大規模介入試験を行う風潮があったのですが,2000年に入ってからは,観察研究が見直されるようになりました。つまり,大規模な介入試験から緻密な観察研究を行う時代に変わってきたのです。これは,介入試験が失敗したということではなく,観察研究の質が上がってきた結果だと,私は考えています。これからは,比較的短期,かつ高用量での効果が期待できるものに対しては介入試験を行い,比較的長期,かつ低用量での効果が予想されるものに対しては観察研究を行うというように,研究の手法を使い分けていくようになると思います。
――先ほどのお話の通り,日本人の食生活を考えた場合,日本人での研究が必要です。日本での研究の実情はどうなのでしょうか。
私はヨーロッパの大学院を卒業しているのですが,当時,西ヨーロッパの疫学研究をまの当たりにし,「日本は太刀打ちできないな」と思いました。指導教官にも,日本に戻らずに研究を続けることを勧められていました。しかし,当時は1990年の半ばでしたが,欧米ではジャパニーズダイエットが非常に注目されていました。
日本の食研究は宝の山 日本人にはなぜ心筋梗塞が少ないのか,なぜ脳卒中が急に減ったのか,胃癌以外の癌がなぜ少ないのか,骨折の頻度がなぜ少ないのか・・・。欧米人はそろって「医療や経済だけではない,あの食事が関連していないはずがない」というんです。それなのに,ペーパーがどこにもみあたらない。私には日本が宝の山にみえたのです。確かに,欧米の研究の結果をみると,日本食がよいという仮説は成り立つのです。日本人の食生活と健康の状態がわかれば,世界の人を救えるという希望を持って日本に帰ってきたのですが・・・。日本には私が就職できる研究室が一つもありませんでした。栄養の疫学や予防学を研究する場がどこにもなかったのです。
とはいうものの,公衆衛生学や内科学では,栄養を軸にした研究が進められています。相対的に欧米よりも少ないことは否めませんが,循環器病や癌などの老年病に関しては,栄養との関わりを疾患ごとに調べた研究の数が増えています。質も向上しています。ですから,近いうちに大量のエビデンスが得られることが期待できます。実際にその兆しは,ここ5年間で現れ始めています。
――実際の患者指導の際,どのようにEBNを取り入れていけばよいのでしょうか。
大切なのは,患者一人ひとりの食べ方を知ることです。たとえば,高脂血症の患者は,飽和脂肪酸の摂取を控える必要があります。日本人が摂取している飽和脂肪酸は,肉から摂っていると多くの人が思っていますが,実際は肉が25%,牛乳が25%です。肉を食べられないとなると,その食卓は貧相ですよね。ですから,肉をやめましょうと指導しても,なかなか成功しません。でも牛乳を控えるのはわりあい簡単です。牛乳にはよい成分がたくさん含まれていますので,それを補える食事を指導しておくのです。たとえば,患者さんが納豆が好きなら納豆を食べてもらいます。ここで重要なのは,患者さんが楽しく食事をしてもらえるように配慮することです。牛乳を飲んでいただくときは,低脂肪乳を勧めます。けれども,低脂肪乳は水っぽいといって,皆さん嫌がるんです。そんなときは,ご家族と相談して,牛乳と低脂肪乳を1本ずつ買ってきてもらい,混ぜるんです。最初は牛乳を95%くらいにして,半年かけて徐々に減らし,最終的には「低脂肪乳のほうがさっぱりしていて,おいしい」というところまでもっていくのです。エビデンスを患者の食生活にいかに入り込ませるか,が重要だと思います。
実状に即した指導を また,食品栄養学のデータに惑わされないことも重要です。血清コレステロールが高い方には,たらこやいくらは控えましょうという指導がよく行われています。でも,日本人が摂取しているコレステロールで,たらこに由来しているのはわずか1%程度です。それなのに,なぜたらこやいくらへの風当たりが強いかというと,100g当たりのコレステロール含有量が多いのですね。食品栄養学のデータは,100g当たりの重量で示されます。ここでも“もの”への視点から“人”の実状に即した視点が必要になります。つまり,我々はすべての食品を一定量ずつ食べるわけではありません。まして,たらこやいくらは塩辛いですし,値段も高いのでそんなに多くの量は食べられません。ほんの少し料理に添えると映えますよね。たらこやいくらを控えることよりも,日常的に多くの量を食べている食品を評価することのほうが重要なのです。
――今後のEBN普及のための課題について,ご意見をお聞かせ下さい。
2点お話ししたいと思います。一点は,研究そのものへの提言ですが,これからは今以上に研究の質が求められます。そのためには,疫学者や栄養学者だけで研究を進めるのではなく,さまざまな専門をもつ研究者の協力による多施設,多地域共同研究が必要です。
もう一点は,研究者と一般の方々の間のコミュニケーションの問題です。エビデンスは,専門家が咀嚼し,一般の方々に正しく伝えなければなりません。ところが,現在の日本では,質を問わない情報が出回っており,どれが正しい情報で,自分にとって有用な情報なのかということを,情報の消費者は判断できない状況です。これは深刻な問題です。正しい情報を適切に伝えることは,今,研究よりも重要かもしれません。正しい情報を確実に伝えられる仕組みを早急に作ることが,大きな課題だと思います。そのためには,食と健康に関する信頼性の高いエビデンスを集めたデータベースが構築され,その内容が,医療従事者を通じて患者に正しく伝わるようになることを期待しています。